最終とは?/ モビット
[ 720] ドラえもんの最終回 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E
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ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する、三種類の最終回のこと。 また、都市伝説として広まった藤子Fによらない創作の最終回も多数存在し、インターネットを通じてさまざまなバリエーションのものが公開されている。本項ではこれらについても言及する。 未完である『ドラえもん』に最終回が存在する理由の一つは、連載されていた学年誌は毎年3月で読者が進級して読まなくなる(1学年上の学年誌を読み始める)ため、当時『ドラえもん』が連載されていなかった『小学五年生』を新たに購読する事になる、『小学四年生』3月号読者への配慮であったと思われる。 実際に当時の他の学年誌連載作品でも、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために『第1話的』な内容を書き、年度末の3月号には『最終回的』な内容の物語を掲載することが慣例的に行われていた。 当初はこのような事情もあって最終回を執筆した藤子であったが、後に『小学五年生』・『小学六年生』にも連載が拡大されたことや、単行本が発売されたこともあり、ドラえもんについてはこの趣旨に則って書かれた最終回は2本だけで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった。 またこの結果、二本目の最終回を読んだ読者は、『小学六年生』からまた読めることになった(『小学五年生』購読の一年を空けて)。そのため『小学五年生』3月号で、ドラえもんがのび太の元へ帰ってくるという1ページ漫画が掲載された。 ドラえもんによると「未来からの渡航者たちのマナーが非常に悪く、過去の人間に迷惑をかけるために過去への渡航が禁止となり、ドラえもんも帰らねばならなくなった」のび太は泣いて止めるが、否応なしにドラえもんは未来へと帰っていったというストーリー。 のび太が自転車に乗れない事でドラえもんに道具を出してもらいに行ったところ、ドラえもんが未来へ帰らねばならなくなったというストーリー。帰る理由は、ドラえもんに頼りっきりののび太の自立心を養うため。のび太は泣いて止め、困ったドラえもんとセワシはのび太にウソをついて帰ろうとするが、のび太がそのウソを素直に信じ、ドラえもんのために我慢すると言ったので、感激したドラえもんは正直にのび太に告げて、のび太もそれを受け入れてドラえもんは未来へと帰っていった(これが日本テレビ版のアニメの最終回のもととなった)。なお、この最終回には後日談があり、後述する通り1973年4月号より『小学六年生』にも連載が拡大されたため、その前月に当たる『小学五年生』1973年3月号に、再びドラえもんがのび太の元に帰って来るという形式の予告漫画が掲載されている。 この二つは連載雑誌が学年誌で読者が進級後に購読する『小学五年生』にはドラえもんが連載されていなかったため、年度末に最終回としただけであり、翌年度の『小学四年生』には『ドラえもん』が引き続き連載されている(1年後の1973年3月号には最終回は掲載されていないのは、1973年4月号より『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたためである。同年4月から日本テレビ版のアニメが放映されることが決まっていたためという説もあるが。なお、上記二つと同様のケースに当たるはずの『小学四年生』1970年3月号掲載の『けんかマシン』(藤子不二雄ランド1巻収録)は最終回的な話ではない)。 下記に記載した3本目の最終回は、一般には一時は本当に最終回になる予定のものであったといわれているが、後述の通り真相は不明である。 いつもの通り、ジャイアンにいじめられて帰ってきたのび太。ドラえもんに甘えるが、ドラえもんは未来に帰らなければいけなくなったとのび太に告げる(理由は不明)。最初は泣いて引き止めたのび太だが、パパとママに説得されてこれを受け入れ、最後の夜に二人で夜の散歩に出かける。涙をみせまいとしたドラえもんと途中で別れたのび太は夜中に寝ぼけて徘徊するジャイアンに出会い、喧嘩になる。ジャイアンに何度も何度も倒されるが、ドラえもんに頼ることなく自分がしっかりしないとドラえもんが安心できないと、必死でジャイアンにつかみかかり、ついに最後には自分の力のみでのび太はジャイアンに「悪かった、おれの負けだ、許せ」と言わせる。そこに駆けつけたドラえもんはボロボロになったのび太を担いで家に帰った。眠るのび太の横顔を涙ながらに見守っていたドラえもんは、朝の陽光が差すときにはもういなかった…。 1997年にテレビ朝日系で放送されていた歴史バラエティ番組「驚きももの木20世紀」内で、当時の小学館の担当者が経緯を説明したところによると、この話は前年に日本テレビ版のアニメが終了したことや作者が新しい連載(『みきおとミキオ』など)を抱えていた事情などがあり、一時期は本当の最終回にするつもりで構成したものの、次の作品を考えていても作者はドラえもんの事が頭から離れず、思い直して『帰ってきたドラえもん』を構成、翌月号である『小学四年生』4月号に掲載されてドラえもんは続けられたとのことであった。この二作品を合わせた話が『帰ってきたドラえもん』として1981年にTVアニメ化、1998年に映画化されている。 ドラえもんがいなくなった後、暗い毎日を過ごしていたのび太だったが、ついに気をとりなおして明るく暮らすことを決意する。外へと繰り出すと突然ジャイアンが現れ、のび太にドラえもんを見かけたという。ドラえもんが帰ってきたのだと思ったのび太は大はしゃぎだったが、しかしその日は4月1日。つまりドラえもんを見かけたというのはエイプリルフール、すなわち『四月バカ』の嘘だったのだ。 残酷な仕打ちの嘘にだまされて泣いているうちに、のび太はドラえもんが「ぼくが出て行った後、どうしても我慢できないことがあったらこれを開け」と言って残して行った、ドラえもんの形をした箱を思い出す。これを開ければそのときに必要なものが出てくるというのだ(アニメ版では“使えるのは一度だけ、開封の瞬間が最初で最後”と説明されている)。出てきたのは、しゃべったことが嘘になる、つまり、しゃべったことと逆の事柄が起こる飲み物「ウソ800(うそえいとおーおー、元ネタは『嘘八百』)」。これを飲んで、のび太はジャイアンやスネ夫に嘘をついた仕返しをする(「今日は良いお天気だね〜」とのび太が二人に言うと大雨が降り、「大雨だね」と言うと日本晴れになったり)。しかし、仕返しを終えると虚しくなってしまい、「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」と独り言をいう。 部屋に戻ると、奇跡が起こった。そこにはドラえもんがいた。ウソ800を飲んでいたので、先ほどの「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」という独り言が嘘になり、「ドラえもんが帰ってくる」、「また会える」という事になったのだ。のび太は「うれしくない。これからまた、ずうっとドラえもんといっしょにくらさない。」と逆さ言葉で再会を泣いて喜ぶのだった。 この話が本来のテレビ朝日版の最終回(本来1本は15分だが、その話のみ1本を15分ごとに分割した30分放送になっていた)になるはずだったが、その後、「最終回にしないで」という反響を呼び、この最終回は幻になった。その後1994年と1997年のスペシャル放送でその最終回になるはずだった話を2回再放送され、映画版でも同時上映作品としてリメイクされた。 なお海外ではこの回だけ放送しない方針を藤子プロが取り、海外では未放送である。ちなみに同局で爆笑問題の出ていた単発バラエティ番組で海外の人にも見せた事がある。よく、幻の最終回などとして紹介されているものの、日本では「ドラえもんコレクションスペシャル 春の4」というDVDに収録されており比較的容易に入手が可能である。 ドラえもんのアニメは、現在テレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画版以前に、日本テレビ・日本テレビ動画で製作された、通称「旧ドラ」がある(作品の詳細に関してはドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)の項を参照のこと)。 このシリーズは2クール52話26週で完結したため、「最終回」が描かれている。内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもの。原作において発表された3本の「ドラえもんの最終回」のうち、単行本未収録の1本を映像化したものである。 日本テレビ版ドラえもんの最終回では、最後の放送だったにもかかわらず、いつもの放送の最後と同じセルで「次回をお楽しみに」というアイキャッチを表示した(前週までは「次週お楽しみに」)。これはただの手抜きやミスではない。日本テレビ動画再建と続編の製作を、「再びいつかドラえもんを……」という希望を込めて、スタッフたちはあえて、「次回お楽しみに」との言葉を表示したのである。 これに対し、テレビ朝日版では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード『未来の国からはるばると』を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。 1990年代の終わりごろから『ドラえもんの最終回』と称するチェーンメールが出回り始めた。その中でも最も有名なのが「のび太植物人間説」と「ドラえもんの開発者はのび太説」の2つである。 1986年頃に一時期子供たちの間で流行した都市伝説であり、このチェーンメールの最終回はそれを少し改変したものである。内容は、「ある日、事故にあって植物状態になったのび太を、ドラえもんが天国へと連れて行く」というものや、「植物状態ののび太が見ていた夢」「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものである。ちなみに、「植物状態に陥った人物のうわ言がドラえもんのヒントになった。よってこのような最終回になった」という話を根拠にしたと推測されている。この最終回の噂はマスコミなどでも大きく採り上げられたため、原作者の藤子不二雄が正式に「流言飛語で根拠のないデマ」・「ドラえもんはそのような悲観的な終わり方にはしないつもりだ」とするコメントを発表する事態となった。 ちなみにこの説には、「ドラえもんは原作では天国の存在を否定している」という 矛盾がある。 又、同じ植物状態説でも「動かないのび太にドラえもんが自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、オープニングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。ちなみにこのエピソードは1991年にアニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である。 これは、一人のドラえもんファンが「自作の最終回」と明記した上で作成したオリジナルストーリーが、チェーンメール等により一人歩きしたものである。「電池切れ説」とも言われる。 ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。しかし、旧式の猫型ロボット(この場合はドラえもん)のバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されているが、ドラえもんは既に耳を失っていたので、バッテリーを交換してしまえば、のび太と過ごした日々を完全に忘却(リセット、すなわち『消去』)してしまう事が分かった。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報は訳あって絶対に開示されない超重要機密事項となっていた。 のび太は迷いの末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には『ドラえもんは未来へ帰った』と説明したが、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってからしずかと結婚したのび太は、ある日妻となったしずかの目の前で、努力の末に記憶メモリーを維持したままで修理完了したドラえもんのスイッチを入れる。 ドラえもんがいつものように『のび太君、宿題終わったのかい?』と言い復活する。ドラえもんの製作者が明かされていなかったのは、開発者がのび太自身であったためだった。 以上があらすじであるが、「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとする事もある)」、「修理には妻となったしずかが立ち会った」などの脚色が付け足されている場合もある。 「ドラえもんの開発者はのび太説」の元になったオリジナルストーリーは、1990年代に学生であった、あるドラえもんファンが作成したものである。彼は自分のホームページ(ファンページ)に、「僕が勝手に考えた ドラえもんの最終回(仮)」と言明し、公開していた。「ドラえもんには、藤子F不二雄先生作の最終回がちゃんとあります」とも明記していた。 当時この学生は太陽電池の研究をしており、そこから思いついたストーリーであった(後述の映画『ジュブナイル』の山崎貴監督による)。 本人が現在、このオリジナルストーリーの作者であることを積極的に公言しているかどうかは不明であるが、例えば2007年1月の東京新聞・中日新聞のコラム内で、彼の氏名や現在の職業は明記されている(その他インターネット検索でも知ることは出来る)。 オリジナルストーリー作者は、この話がドラえもん最終話として一人歩きすることは全く望んでなかったと思われる。チェーンメール化されていることを知った彼は、自身のページに「このページの文を勝手に引用しないで下さい」「私の知らないところで話が一人歩きしていることに恐怖を覚えています」などのコメントを添えていた。さらにその後「チェーンメールはまことしやかに流布され、原作に対する権利の侵害、熱心なファンに対する冒涜であり、このような騒ぎになったのは私の責任」だとし、ファンページを閉鎖した。 鈴木蘭々などのドラえもんファンのタレントが、深夜番組などで「最終回は〜(のび太発明者説)なんだって」等と語ったこともあり、広範囲に流布した。一部ではこれを真の最終回だと誤解した人もいたという。 オリジナルストーリー作者は、チェーンメール化により非難を受けるなど、非常にナーバスになっていたこともあったとのことである(これも山崎による)。 ドラえもんのエネルギーは食べたものを使う原子力エネルギーだからバッテリー切れをするのはありえない(原子炉のトラブルで22世紀に飛んで帰る話がある) ドラえもんは1年に1回は22世紀へ行ってバッテリー交換をしていると漫画で紹介されたから、バッテリー切れなんてあり得ない このほか、藤子・F・不二雄の原作に対する理解の違いから、このオリジナルストーリーに対しても以下のような相反する見方が存在する。 藤子・F・不二雄による原作にみられるのび太を「ドラえもんにいつまでも依存するのび太」と理解し、それを歯がゆく思う人たちに、このオリジナルストーリーが好まれた。(前記2007年1月の新聞コラム) 「出来る範囲で頑張る」という作品の中で示されるのび太の成長が、「一生懸命頑張って立派になる」というように変わってしまっており、『ドラえもん』のテーマを完全に取り違えている。(同上のコラム、他) ドラえもんのパロディーであるPCゲーム『ぱちもそ』において、EDの一つとしてこの最終回を元にしたものがある。 ファンの手によってフラッシュムービー化されておりWebで公開されていた時期があった。これは、後述田嶋安恵による同人誌以前に作られた。しかしこれは後に小学館よりクレームがつき公開は終了した(ただしYouTube等、一部のサイトで見ることができる場合もある)。 この話をヒントにして、実写映画ジュブナイル (映画) が製作された。これについては、監督の山崎貴氏のインタビューのウェブページが残されている([1])。 2005年末、漫画家の田嶋安恵がこの話を漫画化した物を同人誌として発行した。表紙は本家の小学館のてんとう虫コミックスの装丁を模倣しており、またペンタッチも本来の作者、藤子・F・不二雄のそれに極めて近づけたものだった(これが後述される騒動の一因となる)。A5判の20ページでイベント頒布価格は300円、メロンブックスにおいて420円(税込)で委託販売した。半年の間に同人誌では異例の1万3千部が売れるヒットとなり、ネットオークションでも高値を呼ぶ人気となった。インターネットのブログでも公開(事後に田嶋から掲載承諾を得る)されたことから、さらに流布される形になっていった。この作品を傑作と評価する声もある。本当に藤子が描いた最終回と勘違いした地方の小学校の教師が道徳の授業の教材に使いたいとして、小学館に問い合わせの電話をしたとの話もある。 この同人誌の存在については、月刊誌の「創」が2006年6月号で報じたり、徐々に世間の知る事となっていった。『ドラえもん』の出版権を持つ小学館サイドも事態の拡大について放置出来なくなり、藤子の著作権を管理する藤子・F・不二雄プロとともに、著作権侵害にあたるとして、2006年6月に文書で警告して販売中止と回収、ネット公表の中止を要請。話し合いにより、田嶋が数百万円の売上金の一部を藤子プロに支払うとともに、在庫の破棄、二度とやらないことを誓約して謝罪することでこの問題は決着した。 小学館の大亀哲郎知的財産管理課長は同人誌の部数が多かったこととデザインがオリジナルに酷似していたことが、個人や仲間内での楽しみの範囲を超えていたとし、さらに第三者が勝手に最終回を描いたことを改変として問題視したとしている。また、漫画家で日本漫画家協会常務理事の松本零士はこの最終回の漫画化作品を「営業妨害」だとコメントした。 田嶋安恵がこの同人誌を作った際、オリジナルストーリー作者と連絡をとったのかどうかについては不明である。連絡が取れなかったと想像する人がいる一方、オリジナルストーリー作者の存在を知りつつ連絡をとろうとしなかったと考える人もいる。 ほかにも、以下のようなさまざまなバリエーションのものがあるが、もちろん全てファンフィクションまたは誤解。 ※この話はケロロ軍曹にも栗饅頭がいきなり団子に変更された怪談話として登場する。ただし、宇宙が滅びるということについては、作中で「いきなり団子はブラックホールと化す」として否定されている。 「時空法が改正され、過去で未来の道具を使うことが禁止される。そしてセワシがドラえもんを未来につれて帰る」(同上)[10] 「のび太がドラえもんの道具で悪戯をした為に、ドラえもんの開発者の存在が消え、未来が変わってドラえもんやセワシの存在も無くなった。未来を軌道修正するため、長い年月をかけてのび太・しずか・ジャイアン・スネ夫・出木杉がドラえもんを開発する。」[11] 「タイムトラベルを幾度も繰り返して異世界で長く過ごしたため、のび太が実年齢以上に成長して誰にもいじめられなくなり、そののび太に安心してドラえもんが未来に帰る」[12] 「未来世界は機械帝国に支配されており、ドラえもんはそのスパイで、未来に帝国反対派のリーダーとなるのび太の未来を変えるべく現在へとやってきたが、のび太に情が移ったドラえもんが裏切り、いつものメンバー及び脇役と一緒に機械帝国を滅亡させて…」という長編の話もある[13]。 ドラえもんの初登場が正月ということでのび太の初夢という説もある[要出典]。この説で現実ののび太は正反対の文武両道。 ドラえもん最終回については以上のとおりであるが、映画原作を除き実際に最後に描かれた作品については以下のとおりである。なお本作は複数誌に跨って連載された作品であるため、各誌とも最終連載時期が異なる。 このうち最も最終期に連載された作品は、1991年5月号の『こわ〜い! 「百鬼線香」と「説明絵巻」』であり、これがドラえもん通常連載の最後の作品となる。なお、通常連載終了後も各誌(基本的に映画原作以外は再録が主体だった『コロコロコミック』も含み)において再録連載は当分の間、継続した。 また、コロコロコミックの1994年9月号では完全版としてドラえもん44.5巻という別冊付録で掲載された(完全版と称するもののコミックス45巻では更に加筆されている)。 映画原作を除き、通常連載分と本作を区別しないならば、本作が事実上最後の連載作品となる。物語はタイムマシンを効果的に利用したSF色の強い規模の大きな物語であり、映画原作にも匹敵する完成度であった(むしろ劇場原作という枷がない為か、ギャグのシュールさと毒では劇場版を超えている)。本作は現在、単行本45巻(最終巻)の最後に収録されている。1999年に大晦日の特番で「地球を救え! のび太VSアリ軍団」のタイトルでアニメ化されたが、物語が大幅に簡素化されているため、ほぼ完全な別物となっている。 全作品中で唯一、老年期ののび太(小学6年生ののび太から見て45年後なので56〜57歳)が登場する。ラストシーンではのび太自身が過去の自分に対するエールを送る。これは初収録時が小学六年生であることから、これからの苦難に向けて読者に向けたメッセージとも言われている。 『ぼくドラえもん』の付録最終巻の最後に収められた話でもあり、ファンの間でも『実質的な最終回』としてみられる話である。 また、この話は大山のぶ代の『ドラえもん』引退時に最終週の前週に放映された。翌週はほぼスペシャル扱いだったために、通常放送の最終話との位置づけと考えられる。 原作はコミックス35巻の同タイトルのエピソードで、以前にも『ドラえもんに休日を』(1985年3月8日放送、1990年代に再放送)としてアニメ化されている(ドラえもん (テレビ朝日版テレビアニメ)を参照)。のび太がドラえもんに1日だけ休日をプレゼントし、ドラえもんは念のためにのび太に呼びつけブザーを預けた上でミィちゃんとデートに出かける。原作や以前のアニメではのび太がドラえもんを想い、ピンチに見舞われても、ドラえもんを呼ぶブザーをのび太は自ら踏み壊し、ドラえもんに頼らずに危機を自力で乗り越えていこうとする話である。 ところが2005年版アニメではのび太が誤ってブザーを押してデート中のドラえもんを呼びつけてしまう。怒ったドラえもんが未来へ帰り、後は「オールキャラ夢の大集合」というだけあって原作とは異なりセワシ、ドラミ、ミニドラたちが登場するといった、ほぼオリジナルのエピソードとなっている。原作の「自力で頑張るのび太」というのび太の成長が描かれるどころか正反対に「ドラえもん無しでは何も出来ないのび太」のまま描かれており、「改悪」とする意見も聞かれる。 |
[ 721] フェルマーの最終定理 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%AE%9A%E7%90%86
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n = 2 のとき、上の式を満たす整数の組は無数に存在し、ピタゴラス数と呼ばれる。このような数は具体的に書き表わすことができる。 フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にワイルズによって完全な証明が発見され、フェルマー・ワイルズの定理と呼ばれるに至る。 17世紀、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1601年 - 1665年)には、ディオファントスの著作『算術』を読みながら本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣があった。狭い余白であるために証明を省略された。ただし、充分な余白がある場合にもフェルマーはしばしば証明抜きで彼の発見を発表した。例えばフェルマーの小定理を実際に証明したのはライプニッツである。これらの定理あるいは予想が知られるようになったのは、フェルマーの没後、彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が再刊されてからである(フェルマーの手書きのメモが入った『算術』は今日では失われている)。[1] これら48ヶ所の書き込みのうち、『算術』第2巻第8問「x2 + y2 = z2 の有理数解を求めよ」の欄外余白に「n が3以上のとき、一つの n 冪を二つの n 冪の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残した。 しかし彼の残した他の予想は全て決着が着いたのにもかかわらず、この予想だけは証明することも反例をあげることもできなかったために、フェルマーの最終定理と呼ばれるようになり、プロとアマチュアとを問わず、無数の数学者がその証明に挑んだ。 オイラーは1753年にゴールドバッハへ宛てた書簡の中で n = 3 の場合の証明法について言及し、1770年に刊行した著書でそれを明らかにした。ただし、この証明は虚数のレベルまで因数分解を行ったものであったが、虚数のレベルまで因数分解をすると様々な複素数の積に分解できてしまうという不備があったので、のちに補正された。 1847年、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するコーシーとのあいだで論争にまでなった。しかしこの解法とは xn + yn = zn の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される。 コーシーとラメが争っていたのと同じころ、エルンスト・クンマーがみずから打ち立てた理想数の理論(後にデデキントがイデアルの理論として発展させる)を導入する。これにより、多くの素数において一意的な因数分解が可能となり、 n が正則素数である(もしくは正則素数で割り切れる)すべての場合については証明がなされた。虚数レベルでの一意的な因数分解が不可能な非正則素数も無限に存在するが、クンマーは 100 以下の非正則素数(37, 59, 67 の 3 個しかない)についてはそれぞれ個別に研究して解決した。その結果、 100 までのすべての素数 n について(当然 100 以下の素数を約数にもつすべての n についても)フェルマー予想が成り立つことが証明され、それまでの個別研究からこの問題は大きく飛躍した。 1850年、フランス科学アカデミーは、1816年に設けたまま受賞者の出なかった「フェルマー予想の証明者」のための懸賞金を(最終的解決でないことを承知の上で)クンマーに与えた。 ポアンカレは複素平面上の関数についての研究から、保型形式およびそのアイディアをさらに展開したモジュラー形式を案出する。 ファルティングスによるモーデル予想の解決(1983年)により、フェルマー方程式 xn + yn = zn が整数解をもつならば(つまりフェルマー予想が誤りならば)その解の個数は本質的に有限個しかないことが証明される。この「有限個」が「実は 0 個」であることが示されればフェルマー予想は証明できたことになるが、この方向からの絞込みには行き詰まりが指摘されていた。ともあれ、この時点でフェルマー予想が「殆ど全ての場合について正しい」ことが判明したと言うことはできた。 1955年9月日光で開催された整数論に関する国際会議で、谷山豊が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想。そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後に志村五郎によって定式化された。「すべての楕円曲線はモジュラーである」という、発表当時は注目を引かなかったこの谷山・志村予想(今となっては証明されているが)が、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。 実はこの前年の1954年、ある保型形式に関するラマヌジャン予想の一部をアイヒラーが証明していた。そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山・志村予想の最初の実例と呼べるものだった。 このラマヌジャン予想→谷山・志村予想→ラングランズ予想→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの一つとなっている。 が得られ、これは谷山・志村予想に対する反例を与えることになるというアイディアを提示。セールによって定式化されたこの予想はフライ・セールのイプシロン予想と呼ばれ、1986年にケン・リベットによって証明された。 つまり、谷山・志村予想が証明されたならば、それはフェルマーの最終定理が証明されたことをも意味するのである。 プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想(en:Iwasawa main conjecture)を解決するなど、もともと数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳当時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロともなってからはそうした子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、リベットがフライ・セール予想を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、何と主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて谷山・志村予想に取り組むこととなった。但しこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山・志村予想の研究は秘密裏に遂行することとした。 ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム)や数論(モジュラー形式やガロワ表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当り岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハの方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚ニック・カッツの助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力でなしとげた(ここまでで七年が経過していた)。彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて三つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。 この証明はスキームの圏などの現代的な代数幾何の構成をもちいている。これはノイマン・ベルナイス・ゲーデル流の集合論(NBG集合論)という、通常の集合に加えて類 (class) を考え、ただし集合に対する言明の真偽(証明可能性)はZFC集合論と同じになる(ZFCの保存的拡大という)ようにした枠組みで定義される。NBG集合論は本質的にはZFC集合論と同じもので、ZFC集合論に到達不能基数の存在公理を付け加えてグロタンディーク宇宙の構成を可能にしたもので置き換えられると考えられている。このことから最終定理の証明のために本当はどれだけの公理が必要なのかについては疑問が呈されてもいて、ZFCよりは弱い体系でも十分なのではないかと言われている。 谷山・志村予想に関してワイルズとテイラーが証明したのは半安定とよばれる特殊な場合であった。フェルマーの最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。結局は谷山・志村予想は完全に証明され、今では数論の一つの到達点とされてモジュラー性定理とよばれることもある。 フェルマーの最終定理の解決に至るまでの歴史には谷山・志村予想を提唱した谷山豊、志村五郎の他にも岩澤健吉や肥田晴三ら日本人数学者の理論が大きく寄与している。 フェルマー自身は n = 4 のときの証明を無限降下法によって与えているが、これは n = 3 および 4 のときにしか用いることができない。また、ワイルズによる最終的な証明に用いられた理論の大半はフェルマーの時代にはまだ発見・提唱されていないことから、「真に驚くべき証明を見つけた」という記述は、この無限降下法がすべての自然数に対して適用可能であるとの勘違いによるものとも考えられる。 現在も未解決の問題の大多数は、難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の結果は中学生程度の知識さえあれば理解できる内容であるため、予想の段階では数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志した者もいた。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。その意味でも、数学界にとっては若い才能を持った者が数学への扉を叩く動機となる貴重な問題であったといえよう。 |
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