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高橋とは?/ モビット

[ 1129] 高橋名人 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%90%8D%E4%BA%BA

札幌市立琴似小学校(この小学校は高橋をモデルにしたマンガにもよく登場した)出身。琴似中学校を経て、高校時代に陸上部に入部したが、トレーニングのジョギング中に山で野生化してしまい、一日で退部となったらしい。北海道自動車短期大学中退後、スーパーマーケット(札幌フードセンター)勤務を経て、有限会社ハドソン(当時)に入社。
名人に抜擢された理由は、社長曰く「ハドソンの広告塔として」「名人ってというのは、ほら、将棋の名人みたいなやつだから」「一番スター的な顔の高橋君にやってもらう」との事だったが、高橋自身は初めてステージに出てくるまでは「そんなの出来ないっすよ」と、泣いていたという。
特技としてゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押すという16連射があり、日本で初めてチャンピオンシップロードランナーを全面クリアした実績を持つ。当時のファミリーコンピュータに夢中になっていた子供たちからの人気は高く、1986年にはライバルである毛利名人との対決を描いた映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』に主演。テレビアニメ『Bugってハニー』登場の高橋原人のモデルにもなった。コロコロコミックには『高橋名人物語』という漫画(河合一慶作)も連載された。主人公キャラとなった『高橋名人の冒険島』というゲームも発売された(ゲームキャラクターとしての高橋名人を参照)。
河合一慶による、高橋名人の半生を描いた漫画。コロコロコミックに連載された。彼の家族・兄弟や、母校である札幌市の母校の小学校での伝説や、少年時代の高橋の武勇伝などがギャグを交えて描かれている。
高橋の通っていた小学校で起きた「UFO事件」(その後、高橋らの卒業の年に学校に記念として鳥小屋を贈った)。
中学校時代では陸上部に入部したものの、砲丸投げで力が入りすぎて校舎に命中してしまい、校舎が全壊、野外授業になった。
注:本作品はあくまで高橋名人をモデルにして面白おかしく話を膨らませたフィクションであるが、本気にする子供も多かった。特に「サッポロ取り」は後の著書「ファミコン戦士に告ぐ 名人はキミだ!(祥伝社)」にて「オレの名誉のために、ここで訂正しておく」と、フィクションであることを記している。へその緒を引きちぎったのはフィクションだが、首に巻きついていたのは実話。
なお、同時期に同誌に連載された「熱血!ファミコン少年団」ではこのマンガとは対照的に至って真面目なキャラクターとして描かれている。
ハドソン(高橋名人は同社の社員)が連射速度測定玩具『シュウォッチ』を発売したり、同社のゲーム『迷宮組曲』に連射速度測定機能が搭載されるなど、一種の連射ブームが起こった。夏休みのイベントとして行われたシューティングキャラバンでは、スターソルジャーを基に連射回数の測定のみを目的としたソフトも登場した(但し展示のみであり、市販はされていない)。
本人によると現在は体力の衰えもあり、13連射が限度との事である。また、全盛期でも短い時間だけ16連射ができただけであり、プレイ中常に16連射を継続していたわけではない。なお、全盛期にシュウォッチでスコア170以上(17連射/秒以上)の記録を出した事がある。当初から瞬間速度では16連射以上も可能だったが、語呂の良さや仕事柄16進数に親しみがあったなどの理由から16連射ということにした、と後に語っている。
ファミコンブームの1985年〜1987年頃、勉強でも何でもやりすぎは良くない、ゲームにだけ夢中にならず、いろいろなことを経験しようという意味を込めて高橋名人が放っていたメッセージ。このメッセージが最初に放たれたのは1985年7月26日、福岡のダイエー香椎店にて行われたゲーム大会「ゲームキャラバン」で、高橋名人がアドリブで放った言葉である。 それ以後、ハドソン製ゲームソフトのマニュアルや、コロコロコミックなどでもこのメッセージが掲載されていたが、ロールプレイングゲームなどプレイ時間が長時間になるゲームが流行してきたこともあり、次第に使われなくなった。
なお、メッセージはテレビゲーム文化がすぐに飽きられ一時的な流行で終わってしまうことへの危惧から出たものだったことを、ハドソンデジタルエクスプレスのインタビューで明かしている。 また、近年、名人主催のトークイベントにおいて「子供って長時間ゲームやるべ? そうすると親が怒って次のゲームを買って貰えなくなるべ? だけど1時間とか時間を決めてプレイすれば親も怒らないっしょ? (笑)」と、ゲームメーカー側としての戦略でもあったかのような事を話す姿が見受けられる。
高橋名人の人気絶頂期であった1986年から1987年頃、子供たちを中心に「高橋名人がゲームのコントローラーのボタンにばねを仕込んで連射速度をごまかし、警察に逮捕された」といった類のうわさ(都市伝説)が流れた。当時高橋名人は警視庁の依頼を受けて牛込警察署の一日署長を務めたことがあった。それが子供たちを中心に誤った内容で伝聞され(「警察署長をした」→「警察に行った」→「捕まった」)、「高橋名人逮捕」という情報になり、日本の広範囲に広まったといわれている。ほかにも「つかまった理由は脱税」、「非合法なクスリで手首を痙攣させていたのが逮捕の理由」、「そのクスリのせいで死んだ」などのバリエーションもあったといわれる。当時はまだウェブがない時代であったにもかかわらず全国の子供がこれらの噂を耳にしたという点は、当時の名人の人気ぶりを傍証するものであろう。コロコロコミック連載の「ファミコン少年団」(さいとうはるお)では、この伝説をモチーフとした話も描かれた。
この噂がめぐりめぐって名人本人の耳に入った時、「そりゃいいやと思って」実際にコントローラのボタンにバネを仕込んでみたが、バネの厚みでボタンが押せなくなった、と後に述懐している。
ファミコンブームの終焉に伴い、全盛期に比べるとメディアへの露出は減ったが、高橋名人は現在もハドソンの社員である。
1998年夏から2000年頃まではハドソンの100%子会社「未来蜂歌留多商会」へ部長として出向しトレーディングカード制作に従事。その後ハドソン大阪営業所に勤務するが、ハドソンがコナミの子会社になって自社流通事業から撤退したのを機に東京へと舞い戻った。2007年8月現在の所属部署はコンシューマコンテンツ事業本部宣伝部である。同部の部長だったが、2006年11月1日付けの人事発令により、社内での正式な役職名も「名人」となった[1]
東京ゲームショウのハドソンブースにプレゼンターとして毎年出演しているなど、各種のプロモーション活動を行っている。また、ゲーム関係の雑誌などには頻繁にメッセージやコラム、インタビューが掲載されている。
2006年9月6日朝、銀座数寄屋橋付近(出勤のため、有楽町駅から築地のハドソンへ向かう途中であった)の街頭で、秋篠宮紀子妃の出産についてテレビ東京から街頭インタビューを受け、11時6分頃、その模様が同局の番組「NEWS MARKET 11」内で放映された。これは「喜びに沸く街の声」としての扱いであり、全くの偶然の出来事であった。かつてテレビ東京に多く出演していたのにも関わらず、テレビ東京のスタッフは全く気づいていなかった様子である。また同日の「速ホゥ!」でもこの映像は使用された。
放映前の時点で、既に本人のブログにインタビューを受けたことが書かれており、「そっくりさん」ではなかったことが初めから証明されていたため、このインタビューの放映直後から、2ちゃんねるやブログなどのインターネットコミュニティ上では爆発的な話題となった。また、放送されていたインタビュー画面を取り込んだ画像や動画が第三者により公開され、そこから飛び火してハドソン本社に問い合わせや「インタビューを受けたことに関しての取材」の申し込みが殺到したり、東京スポーツの記事として取り上げられたりするほどであった。
なお、この日は大阪で商談があったため、私服である普段とは違い、偶然にもスーツ姿で出勤していた。私服ではインタビューされなかった可能性もあるため、いくつかの偶然が重なった結果の出来事といえよう。
昔、あるゲーム番組の視聴者からのゲームに関する川柳を紹介するコーナーで、「名人も バネがなければ ただのデブ」というものを読まれて激怒したことがある。
オートバイのツーリングも趣味の一つであるが、一時期会社から乗らない様に言われていた事があったと、ミスターバイク誌のインタビューで答えている。
かつては、オーディオを装着した逆輸入車のパンヨーロピアンに乗っていたが、ゴールドウィングには純正のオーディオが付いている為乗り換えた。
速ホゥ!(テレビ東京、2006年9月6日)-テレビ東京の取材の人に楽天イーグルスの田中将大選手の入団前に背番号18番を着けていた渡邉恒樹選手の様に一般人と間違えられる。
毛利名人と対決。「東京国際ファンタスティック映画祭2003」でも上映。高橋名人の舞台挨拶、トークショーも開催された。会場は「万雷の拍手」であったと言われている。
内容は北海道、ニセコの分校を舞台にした心温まるストーリーである。ヒロインはデビューして間もない、まだ無名の女優であった鈴木保奈美であったことはあまり知られていない。
明治製菓-同社から発売されていたチョコスナック「ハイスコア」のCM。高橋名人が1秒間に16個食べて16連射を披露した。スナックには高橋名人の似顔絵マークがプリントされていた。
月星シューズ-同社から発売されていた、子供用シューズのCM。高橋名人の顔がポイントとして印刷されていた。
ゲーム『高橋名人の冒険島』シリーズでは、彼をモデルにした同名の原人姿のキャラクターが登場する。果物で体力回復し、ミルクで体力全回復する。しかし、本人も果物は好きであるが、ミルクはお腹を壊してしまうため飲めないそうである。ちなみに、パワーダウンアイテムに設定されているナスは平気で食べられるとのこと(「こすり合わせたときの音が嫌い」と言われる)。後に、『ドリームミックスTV ワールドファイターズ』(声は高橋本人である)など、ハドソンの他のゲームへも登場した。
なお、『高橋名人の冒険島』はもともと別キャラクターが主人公となる予定だった(もともとはセガのアーケードゲーム『ワンダーボーイ』をそのまま移植していた)が、ハドソン副社長の「名人を主人公にしたほうが面白い」という一言で開発中のゲームの主人公キャラクターを高橋名人にすりかえられることになったため、本人の特徴とは必ずしも一致しない設定となった。アメリカでは、キャラクターの高橋名人は「Master Higgins」(マスター・ヒギンズ)という名前に変更されている。
はるな友香 - 1986年に行われた「高橋名人の妹コンテスト」でグランプリに輝き、芸能界デビュー。高橋とともにレコーディングやテレビ番組出演、イベント出演を精力的にこなした。現在、うちやえゆか名義で歌手として活動中。
悠仁親王 - 誕生したときにテレビ東京より街頭インタビューを受けた。ネット上で話題になり、東スポでも記事になる。
この「高橋名人」はコンピュータゲームに関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:ゲーム/PJコンピュータゲーム)。

 

[ 1130] 高橋留美子 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%95%99%E7%BE%8E%E5%AD%90

1978年『勝手なやつら』でデビュー。代表作に『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『らんま1/2』、『犬夜叉』など。特にラブコメディを得意としており、そのキャラクター造形は「萌え」の原型とも言われている[1]。少年漫画の分野における女性漫画家の草分け的存在で、代表作はいずれもTVアニメ化され大ヒットを記録、単行本の累計発行部数は1995年に1億部を突破した。岡田斗司夫は「マンガの神様」手塚治虫でさえも少年漫画を描き続けられなかったことを引き合いに出し、30年もの間少年漫画誌で人気を保ち続けている高橋を「マンガの怪物」と評している[2]。
新潟市の古町で産婦人科医院を開業していた高橋家の末っ子(2男1女の長女)として生まれる。父、高橋光雄は「高橋卯木」の俳号を持つ俳人でもあった。医院の創設者である曽祖父、高橋辰五郎は明治時代に大阪の産婦人科医、緒方正清(緒方洪庵の義理の孫)の元で研修し、帰郷後は新潟県の近代産婆(助産師)教育に貢献している。
幼少期から兄の持ち物であった少年漫画を愛読し、中学の頃から『週刊少年サンデー』・『ガロ』などに作品の投稿を始める。高校在学中、同級生であった近藤ようことともに漫画研究会を設立。またこの頃より筒井康隆を愛読するようになり、影響を受けてスラップスティックなSF作品を描いていた。2年生の時に40枚ほどの作品を『週刊少年マガジン』に投稿するも落選、一時は漫画家になるのを諦めたという。
高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え[3]で上京。大学では目白花子と漫画研究会「(没)」を設立し、会誌『びびっと』上で作品を発表していた。その一方で1年生の終わり頃より劇画村塾に入学し小池一夫に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。
在学中の1978年、投稿作「勝手なやつら」で小学館新人コミック大賞佳作を受賞しデビュー。少年誌でSF的な作品を描こうとして、編集者に何度も制止された経験をもつ、ギャグ漫画家の吾妻ひでおは当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという[4]。
1987年に両作品が終了し、同年より格闘技を題材にしたコメディ「らんま1/2」の連載を開始、この作品は「子供が読んでも楽しい漫画を」[5]と、より低年齢層を意識して描かれた。1996年に同作品を終了、同年「犬夜叉」の連載を開始。かねてより興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素をほとんど無くしシリアスな路線を取っている。
自他共に筆の速いことを認めており、目白花子は高橋が『うる星やつら』の原稿を27時間で完成させたことがあると述べている。本人のインタビューでは、『らんま1/2』の頃は毎回16ページを2日で完成させ、『犬夜叉』連載時にも下描きとペン入れを合わせて2日、1ページにつき1時間で完成させていると答えている[4]。
インタビューでは好きな漫画家として池上遼一(後述)、ちばてつや、諸星大二郎、花輪和一、吉田戦車、中川いさみ、伊藤潤二などを挙げており、これらの作家の単行本はほとんど揃えていると語っている。ほかに好きな作品は『あしたのジョー』(ちばてつや)『ケロロ軍曹』(吉崎観音)など[3]。上記の作家の多くは『うる星やつら』新装版でラムのイラストを寄稿している。
中学の頃からの阪神タイガースの熱心なファン。1973年に読売ジャイアンツとのリーグ優勝をかけた最終戦で優勝を逃した時には大きなショックを受け、一時期はファンであることをやめていたが、その後再びファンとなった[3]。2003年にセ・リーグ制覇した時には、デイリースポーツにタイガースを応援するラムのイラストを掲載している。
ダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで!!」を欠かさず観るなどお笑い好きで、バラエティ番組を仕事中に流すことも多いという。好きなお笑いグループとしてオール阪神・巨人、ダウンタウン、ナインティナイン、タカアンドトシ、次長課長、チュートリアルなどを挙げている[3]。
減量の苦手なボクサー・畑中と敬虔な修道女・シスターアンジェラとの恋愛を描いたスポーツ・ラブコメディ。「ヤングサンデー」に不定期連載され20年かけて完結、耕作役は古谷徹でOVAも製作された。2008年に亀梨和也主演でTVドラマ化された。
戦国時代にタイムスリップしてしまった中学生の少女・かごめと、彼女が出合った半妖・犬夜叉を主人公とした伝奇作品。2000年-2004年にTVアニメ化。10年を超える長期連載で高橋の最長作品。
『人魚の森』を初めとする連作の総称で、人魚の肉を食べたことにより永遠の生を生きることになった青年・湧太と少女・真魚の運命を描いた伝奇シリーズ。OVA化ののち下記『高橋留美子劇場』とともにTVアニメ化されている(未放送分は15禁)。
高橋は学生時代から池上の熱心なファンであった。中学生の時池上の『スパイダーマン』(小野耕世、平井和正原作)に魅せられ、掲載誌を入手するため廃品回収業者を訪れたというエピソードもある。1986年に復刊された『スパイダーマン』(朝日ソノラマ)第1巻では池上作品への思いを語った文章を寄稿している[4]。高校の頃は池上風の絵でドタバタギャグを描いていたという[6]。
高橋が学生時代より筒井康隆とともに愛読していた伝奇・SF作家。上述のように中学時代は平井原作、池上遼一作画による『スパイダーマン』に傾倒していた。後年平井との対談を果たした際には「30を過ぎたら平井先生の作品に影響を受けた漫画を書きます」と述べている[7]。一方の平井も高橋の作品に魅せられ、高橋の作家論である『高橋留美子の優しい世界』(徳間書店、1985年)を執筆している。
1980年代より高橋とともに『週刊少年サンデー』の看板作家を務める友人でありライバル。あだちは自身が少年誌にこだわる理由として「高橋先生の存在が大きい」と述べている[8]。一方高橋もあだちについて「戦友というとおこがましいんですが、同じ時代をともに頑張ってきたという思いがあります」と述べている[5]。
タッチ作中で主人公上杉達也がボクシング部から野球部に移籍したのは、高橋留美子のラムちゃん色紙とトレードされたため。
週刊少年サンデー2006年43号の巻末コメントで「1作だけ違うペンネームをつけるとしたら、どんな名前にしますか?」という読者からの質問において高橋は「あだち充。」と答えている。

 

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